トッププレイヤーの傲慢さが仇に?暴力事件を起こした野球選手まとめ

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時々ですが、私たちの耳に入ってくる野球選手の暴力事件。あんな大柄の選手に殴られたり、どつかれたりしたら相当な恐怖ですよね。いくら人気のある選手、過去に有名だった選手でも、やはり暴力は許されないことです。恐らく、トッププレイヤーの傲慢さが仇となり、暴力事件にまで発展してしまうのではないでしょうか。

そこで今回は、過去に暴力事件を起こした野球選手についてまとめてみました!

村田兆治(むらた ちょうじ)

  • 生年月日:1949年11月27日
  • 没年月日:2022年11月11日(72歳没)
  • 身長:181cm
  • 出身地:広島県豊田郡本郷町(現:三原市)
  • 血液型:AB型
  • 出身校:福山電波工業高等学校
  • ポジション:投手
  • プロ入り:1967年(ドラフト1位)
  • 選手歴:
  • 東京オリオンズ ロッテオリオンズ (1968~1990)

1967年に東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)にドラフト1位で入団。そのダイナミックで独特な投球フォームは「マサカリ投法」と呼ばれ、通算暴投の日本記録保持者でもあります。ロッテのエースとして活躍し、通算215勝を挙げました。1982年に右肘を故障。渡米し右肘じん帯再建手術を受け、その後2年間のリハビリを経て完全復活。最多勝、最優秀防御率、奪三振王など数々のタイトルを獲得後、1990年に10度目の2桁勝利を最後に、40歳で現役を引退しました。2005年には野球殿堂入りを果たしています。

村田兆治さんが起こした羽田空港での暴行事件

2022年9月23日、警視庁東京空港署は、羽田空港の保安検査場の検査員に暴行を加えたとして、村田兆治逮捕しました。携帯電話を所持していた村田兆治さんは、金属探知機に何度か引っ掛かったことに腹を立て、30代の女性検査員の左肩を右手で押したとのこと。その場で保安検査場職員が110番通報し、駆け付けた署員に現行犯逮捕。

村田兆治さんは容疑を否認しましたが、防犯カメラには左肩を押している様子が映っていたそうです。被害者の女性検査員に怪我はありませんでした。引退後も野球教室を開催する等、球界の発展に尽力していた村田兆治逮捕に日本中が衝撃を受けました。その約2カ月後、11月11日に住宅火災のため72歳で亡くなり、再び衝撃が走りました。

中田翔(なかた しょう)

  • 生年月日:1989年4月22日
  • 年齢:34歳
  • 身長:184cm
  • 出身地:広島県広島市中区
  • 血液型:O型
  • 出身校:大阪桐蔭高等学校
  • ポジション:一塁手/外野手
  • プロ入り:2007年(高校生ドラフト1巡目)
  • 選手歴:
  • 北海道日本ハムファイターズ (2008~2021)
  • 読売ジャイアンツ (2021~)

高校時代から「平成の怪物」と呼ばれ、2007年に高校生ドラフト1巡目で日本ハムに入団。これまでに、打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞5回を受賞。2013年、2017年にはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、2015年にはWBSCプレミア12にも出場しており、日本代表としても活躍しました。2022年のシーズン終了後の契約更改では、推定年俸3億円、3年契約を結んでいます。

中田翔選手が起こした同僚選手への暴行事件

当時、日本ハムに所属していた中田翔選手。2021年8月4日に函館で開催されたDeNAとのエキシビションマッチの開始前に事件は勃発。被害者は当時20代の後輩投手で、ベンチ裏で和やかにお喋りをしていたら、突然中田選手が激高し、その後輩投手の顔面と胸付近を殴打。殴られた後輩投手は吹っ飛び、壁に腰を強打し、その日の登板は取り消しとなりました。もともとこの後輩選手は中田選手の子分的な存在で、よく食事や飲みに出掛けていたそうですが、ワンステップ上のレベルを目指していた後輩投手は、当時中田選手と距離を置いていたのだとか。この日の試合中に暴行事件が発覚し、先発出場の中田選手は1打席で交代を命じられています。

試合の出場停止処分にまで

その後、8月11日に日本ハムの川村浩二球団社長より1軍、2軍全ての試合の出場停止処分を下された中田翔選手。今も栗山英樹 奥さんもらわず独身を貫いていますが、中田選手の素行不良は当時の日本ハム栗山監督と球団が甘やかしてきたことが原因であるとの声も少なくありませんでした。

伊良部秀輝(いらぶ ひでき)

  • 生年月日:1969年5月5日
  • 没年月日:2011年7月27日(42歳没)
  • 身長:193cm
  • 出身地:兵庫県尼崎市
  • 血液型:A型
  • 出身校:尽誠学園高等学校
  • ポジション:投手
  • プロ入り:1987年(ドラフト1位)
  • 選手歴:
  • ロッテ・オリオンズ/千葉ロッテマリーンズ (1988~1996)
  • ニューヨーク・ヤンキース (1997~1999)
  • モントリオール・エクスポズ (2000~2001)
  • テキサス・レンジャーズ (2002)
  • 阪神タイガース (2003~2004)
  • ロングビーチ・アーマダ (2009)
  • 高知ファイティングドッグス (2009)

沖縄県コザ市生まれの兵庫県尼崎市育ち。1987年にドラフト1位でロッテオリオンズに入団。快速球を武器に、1994年に最多勝と最多奪三振、1995年、1996年には2年連続で最優秀防御率に輝きました。1997年にニューヨーク・ヤンキースに移籍し、メジャーに活動の場を移し、1998年には13勝をマーク。2003年、阪神と契約し日本球界に復帰。

しかし、結果を残せず1年で現役を引退。その後、2009年に現役復帰するも、翌年2度目の引退となりました。2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で首を吊り死亡しているのが発見されました。自殺の原因には、事業の失敗、妻子との別居、日本で指導者を希望していたが受け入れ先が無かったことなどが挙げられています。

伊良部秀輝さんが起こしたバーでの暴行事件

2008年8月20日、暴行の現行犯で大阪府警曽根崎署に逮捕された伊良部秀輝さん。伊良部さんは午前3時頃、高校の同級生とともに大阪市北区堂山町にあるバー「バタフライ」に来店。生ビールの中ジョッキを20杯ほど飲んだ伊良部さんは、提示したカードでの支払いを断られたことに腹を立て、店とトラブルに。椅子を蹴ったり、洋酒のボトルを投げ付けたり、止めに入った男性店長の髪の毛や胸ぐらを掴み壁に押し付けたりの暴行を加えました。午前5時過ぎ、女性従業員が通り掛かった警察官に通報し、現行犯逮捕となりました。

まとめ

今回は、村田兆治逮捕など、過去に暴力事件を起こした野球選手について調べてみました。野球選手というのはたくさんの子供が憧れる職業でもあるので、むしろ模範となるべき存在でもあります。野球選手が暴力事件を起こすと、多くの野球ファン、野球選手を目指す子供たちをがっかりさせてしまうことにもなりますので、野球選手にはオンもオフも常にカッコイイ存在でいてほしいものです。今後はこのような暴力事件が起こらないことを心より願っています!

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